Jeepers Creepers

眠れない夜を、語り明かせるシェアハウス

ドブネズミと誹謗中傷〜童貞の僕は”はあちゅうさん”にも優しくしようって決めた

僕はブルーハーツが好きだ。

って言っても熱狂的なファンではない。にわかレベルの好きだ。

 

ドブネズミみたいに美しくなりたい

写真には映らない美しさがあるから

ーーーTHE BLUE HEARTS「リンダ リンダ」

 


僕はどぶ鼠だ。だけど、ヒロトの言うようなドブネズミではない。

美しい部分なんて見当たらない。地下鉄の駅にたまに出て、渋谷で死んでるどぶ鼠だ。でも、ヒロトは確かに「ドブネズミには美しさがある」って言った。

泥に塗れても、ゴミを食らっても、

ありのままの姿で必死に生きている。

そうすると、なんかわかんない光が瞳に宿る。

その光が本当の美しさなんだって、

そういう希望を見せてくれた。

 


ネットでの誹謗中傷が話題になっている

「人はそうせざるを得ない状況にならなければ、

絶対に行動しない」

という持論を僕は持っている。

ネットでの誹謗中傷は、やめろっていくら言ってもなくならない。普通の感覚じゃ理解できないが他人を匿名で傷つける奴らは、「そうせざるを得ないから」そうしているんだ。

 

それ故に、奴らは言葉の刃は人を殺せるってことに、あまりに無自覚だ。というより、仕方ないから見ないことにしている。そして、ことが起こってから重大さを思い出す。

 

それでもやっぱり、「せざるを得ない」から、重要なことを半年くらいかけて忘れていくのだ。

 


もしかしたら、近いうちにきちんと訴訟が行われて判例ができるかもしれない。訴訟に勝つのはいつだって社会的な強者=金を持ってる奴らだ(資本主義なんてロクでもないな)

きっと社会的な強者は誹謗中傷から守られるようになるんだろう。そうなったとき、「他者を傷つけざるを得ない」彼らが反省して中傷をやめるだろうか。

 

大多数はやめることはできないだろう。

 

せざるを得ないからだ。しかし、強者に噛み付くと手痛い目にあってしまう。そうなれば、次なるターゲットは更なる弱者だ。

 

弱いものたちが夕暮れ さらに弱いものを叩く

その音が響き渡れば ブルースは加速していく

ーーーTHE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」

 


弱い奴らっていうのは、一度武器を手にすると、弱いステゴロの自分を否定する

 

MeToo運動が話題になった時、ネットでセクハラを告発したはあちゅうさんは、過去に童貞を馬鹿にしていたことで炎上した。

当時の僕は権力を使った弱いものいじめが横行している世の中に激しく絶望したのだが、同時に、はあちゅうさんっていう人にとても反感を覚えた。僕もその時童貞だったからだ。

自分で言ってること人にもやってんじゃんって思っていた。

その旨をはあちゅうさんに匿名でぶつけるなんてことしたら、自分も同じになってしまう。

そう思ってたから、はあちゅうさんを叩いてる奴らにも反感を覚えた。

 


ステータス上では童貞じゃなくなっても、童貞をこじらせたまんまだった僕は、そのせいで映像や詩を作ったり、サブカルに夢中になったりしている。それらの武器が、僕を奮い立たせるし、生きる力をくれている。

(てめえガチ童貞じゃないのかよって不貞腐れてしまったブラザーに言っておくが、ガールフレンドの1人や2人、ましてやセックスの1回や2回で、ぐちゃぐちゃに歪んでしまった心が元に戻るとは限らないぞ。救いはもっと別のところにある!ともに戦おう!)

 

そんな僕だけど、童貞が好むようなキレイゴトばかりの作品をあまり描かない。みることもあまりしない。寅さんとゆずとサンボマスターはイヤミな上司と行く飯よりも嫌いだ。ペガスス座出身の救いようのないロマンチストのくせに、新海誠作品に対して否定的だ。そして本当はキレイゴトが好きな自分も嫌いだ。時々本気で死にたくなる。


昔、エヴァンゲリオンというアニメがあった。旧劇場版はオタクに対する失望で終わる。こんな僕だから、それにとても共感する。誰よりもオタクな庵野監督だからこそ、キレイゴト並べるどぶ鼠なんてろくなもんじゃないって言わなきゃいけなかったんだろうと思う。


武器を手にしたどぶ鼠は、いつの間にかドブネズミを攻撃するどぶ鼠になっていく。僕も知らずのうちに、童貞批判のようなことをブログやツイッターや映像とかでやらかしていたことに最近気づいた。(みんなごめん!俺が悪かった!)


リンダリンダとトレイントレインは別のことを言っているようで、繋がっている。

 

どぶ鼠はみんな、自分は周りとは一味違うドブネズミなんだって思いたいんだ。

 

だから、武器を手にしたドブネズミは、「さらに弱いものを叩く」のだ。本当は弱い自分を認めるだけの強さが僕らにはない。ステゴロじゃ戦えないんだ。庵野監督もはあちゅうさんも、きっとドブネズミだったに違いない。アニメとか文章とか、そういう武器を得てしまったから、本当はドブネズミである自分を否定せざるを得ないんじゃないか。

 

彼らがどんな人生を送ったかなんて僕は知らないけど、まだかさぶたになりかけの心の傷が時々見える気がするんだ。


はあちゅうさんとしみけんさんの結婚したときの記事、痛々しくて見てられなかった。

 

真人間たる自分が、野生の猿たるしみけんを人間にした

 

そんなことが書いてあった。

ぼくには、はあちゅうさんがどぶ鼠たる自分を必死で人間という枠に押し込めているようにしか見えなかった。


弱いドブネズミは、どぶ鼠のまんまじゃ生きていけない。ドブネズミのまま普通の社会生活をこなすのは、あまりに過酷だからだ。

だからみんな、自分なりの武器を見つけてきて、それなりに格好をつける。それが庵野監督にとってのアニメだったり、はあちゅうさんにとっての文章だったり、誹謗中傷するやつらのSNSだったりするわけだ。


そうやってガチガチに武装したとしても、中身は弱いどぶ鼠のまんまだ。

そうやって人間のフリしたところで本当は「強くて美しいドブネズミ」に憧れている。そんなドブネズミみたいに美しくなりたいんだ。

はあちゅうさんにとって、しみけんさんは誰よりも美しく生きるドブネズミだったんだと思う。


とはいえ、結婚っていう社会生活をするうえで、人間のフリをする術を身につけることは重要だ。しみけんさんは、AV業界という特殊な環境に身を置いているから、美しいドブネズミのままでいられる人なんだとおもう。社会生活を行う上での武装の仕方を教えるのも一つの愛だ。


でも、はあちゅうさんは武装し続けなきゃいけなかったたせいで、過去に童貞という自分より弱いものを攻撃しなきゃいけなくなった。ネットで誹謗中傷してる奴らも同じなんだと思う。現実での自分という武装が自分を支えきれていないから、ネットという別の武装を纏って、匿名性を武器に他人を攻撃するんだ。そんなことしてると、「やらなきゃやられる」って話になっていく。

「ブルース(哀しみ)は加速していく」ってわけだ。


僕は女子プロレスが好きだ。好きと言ってもにわかレベルの好きだ。彼女たちは、リングにあがってステゴロで戦っている勇者だ。僕は、ふらふらになりながら戦っている彼女らの瞳にドブネズミの美しさを感じた。ブレーンバスターは僕の絶望感を投げ飛ばし、ムーンサルトプレスは日々の倦怠感を破壊した。

 

彼女たちは現実と戦う勇気をくれたんだ。


そんな勇者の1人を、SNSで武装したどぶ鼠たちが死なせてしまった。別のどぶ鼠たちは、キレイゴトのお悔やみリプを送っている。こういう時に軽々しくこういうこと言える奴らは、きっとすぐ掌を返すんだろうって思った。そしたら今度は大儀を得た別のどぶ鼠たちが、勇者を攻撃したどぶ鼠を殴り出す始末だ。

 

この世に権現した地獄を見ているかのようだった。

 

見えない自由が欲しくて

見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ

ーーーTHE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」

 


ヒロトだってどぶ鼠だったに違いない。

だから「ドブネズミみたいになりたい」って言ったんだ。ぼくら普通のどぶ鼠とちがうところは、「ドブネズミみたいになりたい」って大声で言えるところだ。武装をやめて、ステゴロでステージにあがれるところだ。(それどころか全裸になったりしてたね)

弱さを認められる人はいつだって強くて美しい

その瞬間、どぶ鼠は強くて美しいドブネズミになるんだ。

 


もちろん、生きる上で武装することは必要だ。

だけど、その武装を維持するために他の人を殴らなきゃいけないのは、あまりに悲しすぎると思わないか?誰かを殴んなきゃ自分が殴られるなんて、辛すぎると思わないか?

 


いい加減、武装するのをやめよう。

一度全部脱いで、ありのままの自分で叫ぼう。

弱さを全部認めよう。

そう言い出せるような場所を作んなきゃならない。

そういう風に言える世の中にしなきゃいけない。

…所詮キレイゴトだけどね

 


それでもヒロトはドブネズミのままが美しいぜって歌った。自分が血塗れなのに、「人にやさしく」してくれた。音楽を使って、そのままでいることの美しさを表現したんだ。だから彼の歌を聴いてるときはみんながありのままに戻る。本当はそうだったって思い出す。

その瞬間キレイゴトはキレイゴトじゃなくなって、ドブネズミの瞳に宿る、強くて美しい光になるんだ。彼はそういう瞬間を音楽で作ってしまった。

 

なんてでかい奴なんだ!

 


人に優しく してもらえないんだね

僕が言ってやる でっかい声で言ってやる

ガンバレって言ってやる きこえるかいガンバレ

ーーーTHE BLUE HEARTS「人にやさしく」

 


誰も優しくしてくれないから、戦うしかなくなってしまう。生活する上でドブネズミのままでいることはやっぱり難しい。だからこそ、誰かが誰かを傷つけずに生きるために、少しでもそのままでいられるように、

 

「気が狂いそう」になりながら「やさしい歌」を歌うんだ。

 

本当は自分語りをしたいはずなのに、誰かに慰めてほしいはずなのに、鎧をつけたいはずなのに、裸のままで誰かに向かって頑張れって叫び続ける。そうやって戦ってる姿こそが、「ドブネズミの美しさ」なんだ。

 


みんなが鎧をぬぎすてて、そのままでいられる瞬間が増えれば、無理して人を殴らなくて済むんじゃないかと思う。

ありのままでいることを思い出す瞬間が増えれば、もっと人にやさしくできるんじゃないかと思う。

そういう風に叫び続けるには、血塗れになる必要があるかもしれない。傷だらけにならなきゃ、そういう瞬間は作れないのかもしれない。

 

それでも僕は「ドブネズミみたいに美しくなりたい」って思う

 

俺はいつかヒロトみたいな奴になりたい。

そして、もう二度とこんな話はごめんだ。