Jeepers Creepers

眠れない夜を、語り明かせるシェアハウス

どうでもいいこと 花

どうも、ムーンライト伝説です。

 

世界終末時計の針を弄ぶかの如く、世の中荒れに荒れまくっている昨今ですが如何お過ごしでしょうか。

 

緊急事態宣言は全面解除されましたが、まだまだ予断を許さない状況が続きそうですね。

まぁ僕は自粛しようがしまいが、基本的に仕事と通院以外で外に出ないんで特に変わらずな感じですが。

ただ、この春から夏にかけて公開予定だった映画が軒並み延期になっちゃったのはちょっと辛い。

 

ただでさえ世の中は荒れているのに、きな臭いニュースも度々槍玉に上がりますね。

僕はちがごろSNSからは距離を置いているのですがそれでも目につくものは目につきます。

 

今回はその辺りもちょっと含めた与太話です。

 

 

私の“てにをは”とメメント・モリ

 

自粛期間中であろうと生活は同じ速度同じ質量で進んでいきます。

 

3月に母方の祖父が亡くなり、葬儀と四十九日が自粛期間に被っちゃってなかなか大変でした。

 

祖父は2年ほど前に突然倒れてからそのまま入院。その後は亡くなるまでずっと寝たきりでした。

見舞いに訪れるたび、祖父のかすかに開いたまぶたから果たして僕の姿を捉えていたのかは定かではありません。

ミイラのように痩せ細り、喋ることもままならない状態で、こちらもなんと声をかければいいのか全くわからなかった。

 

容態がじわじわと悪化していき、去年の暮れには年を越せるかも怪しいと言われていました。

そして三月。自粛要請もあり、病院の面会時間が制限され、お見舞いに行く回数も限られた状況で、それでもなんとか一報を聞きつけた母は近くから駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできませんでした。

 

 

生前、祖父はお酒が大好きで、親戚や友達をたびたび家に集めては酒盛りをする人でした。

幼い頃から母の実家を訪れるたび、一升瓶とビール瓶の山があったことを覚えています。

 

昼でも夜でもなにかと理由をつけてはお酒を嗜む人で、祖父の友人たちも同様にお酒を飲む口実に祖父の家に集まり、鍋を囲んだり、バーベキューをしたり。

 

幼い僕は酔っ払い達のでかい笑い声とロレツの回らない世間話を小耳にしつつ、アルコールとタバコの匂いの充満した部屋で黙々と鍋をつついていました。

絡み酒のおっさん達の話題になんぞ子供がついていけるはずもないですが、酔っ払っていても気の良い人たちなので適当に相槌を打っていれば満足そうに笑っていました。

 

母方の祖父は孫に対しては割とそっけないタイプで、過度に可愛がったり構いたがるような人ではなかったですが、帰省するたびに親戚や友人を呼びつけて賑やかにしてくれていたのはそんな祖父なりの配慮だったのかもしれません。

 

それでもこちらか遊んで欲しいと頼めば、犬の散歩に連れて行ってくれたり、正月になると器用な祖父は自作した凧や独楽を用意してくれていて、遊び方を教えてくれたりしたことを覚えています。

 

そんな祖父が亡くなり悲しみに暮れたということは実はそんなになく、むしろ久しく忘れていたことを思い出しました。

 

 

幼いころから人の死というのは身近にありました。

僕が生まれてすぐに、父方の曽祖父が亡くなり、物心ついたときに「ひいおじいちゃんがいた」という話を聞かされました。

 

小学生のころ。

父方の曽祖母、母方の祖母が亡くなりました。

親戚付き合いの多い家庭だったので、親戚の葬儀にも少なくない数参列しました。

葬式なんて、子供にとっては退屈なイベントそのものなんですが、それまでなんとも思っていなかった葬式で、初めて火葬場にて骨上げを経験したとき、「人はいつか死ぬ」という感覚を子供ながらに強く意識するようになりました。

 

「いつか死ぬ」

 

夜、布団の中でその言葉がふと頭に浮かび、「自分が存在すること」そして「いつか死ぬこと」についての不安と恐怖に苛まれたことを思い出します。

幼い僕は死を意識することでなぜ自分は「自分」なのだろうという疑問にたびたび取り憑かれました。めちゃくちゃ不安でした。

 

 

中学生のころ。

 

同じ部活だった同級生の父が急病で亡くなりました。

 

また別の同級生の姉が自殺しました。

 

他人の僕にとっても、本人達にとってもどちらも突然のことでした。

 

この時僕は「人はいつか死ぬ」に加えて、「人はいつでも死ぬ」ということを知りました。

 

 

「いつか死ぬ」

これはどうにも抗えないことです。

病気でも寿命でも、生き続ければ人の身体はいずれ朽ちていき最後は動かなくなります。それは誰もがどこかで意識することで、いずれ受け入れざるを得ないことでもあります。

“待っている死”と呼称してもいいでしょう。

祖父の死はおおまかにはこれに当たると思います。

 

 

「いつでも死ぬ」

自殺、他殺、事故、急病。

突然訪れる死。

これは“潜んでいる死”と呼称しましょうか。

これはどうにも受け入れがたいものです。故に何処か人はこの死を普段の生活で特段意識することはないと思います。

 

明日、今日、1時間後、1分後、1秒後。

自分が死ぬなんてことを常に意識しながら生きている人なんて稀でしょう。

無意識のうちにそんなことは気にしないように人間の頭はできている。そういう”鈍感さ“を武器に人間は発展してきたわけですから。

ある意味“潜んでいる死”でもあり、意図的に“潜んでいることを忘れている死”でもあるかもしれませんね。


しかし否が応にもそれを思い知らされる時がくる。

その時、人は死が決して対岸の火事ではないことに気づきまた忘れてを繰り返す。

昨今の出来事は“この潜んでいる死”を意識するには十分すぎますね。

 

 

つまるところは、メメント・モリ。

 

ただ、死を思うことは生きることを意識することより、むしろ自分の存在を知覚の外から俯瞰し意識しようとすることだと思います。

“潜んでいる死”を自ら暴いていく思索によって人は「自分」が”なにでできている”かを知ることができるのではないか。

 

「死」が「自分」と常に共にあるということ。

 

「死」が「自分」という意識を作為的に営ませているということ。

 

「死」が「自分」という意識を形作っているということ。

 

祖父の死が、これら死に対する認識を改めて想起させました。

 

だからなんだって話なんですが、単純にそういうことを思ったっていうだけの話です。

まぁ強いて言うならみんなもっと自分や周りの人を大事にしようねってことです。死を想うことでもっと自分を見つめ返してみようよっていう。

最近はみんな敵を探すのに躍起になって、あっちこっちで闘争を繰り広げてるからね。

 

もっとメメント・モリしていこうな。