どうも。
すげー香ばしいこと言いますが、あくまで個人的見解です。
昨今、女体を性欲の対象として消費するコンテンツに対する風当たりが強い。
主にフェミニズムを勘違いした人たちなのだが、これがまあ強い。
もちろん僕らが大好きなアニメに対しても、殴りかかってくる。
僕らの言い分としては、
俺たちだけで楽しんでた所に勝手に入ってきて騒ぐのはやめてくれ
オタクは誰よりも現実が見えているから、二次元コンテンツに逃げるのだ
この二つだよね。
僕は「せざるを得ない状況にならなきゃ、人は行動しない」という持論がある。
僕らは二次元コンテンツに逃避して、作り物の女体を性欲の対象として消費せざるを得ない状況にあった。
バブルの頃は、付き合えばいい思いができる男がたくさんいたと聞く。女性がお姫様でいられた時代だそうだ。そういう時代が終わったにもかかわらず、まだお姫様やりたいひとたちが、上位数%の男を捕まえるために、キャンキャンとかを買って武装をした。その戦線に加われない人たちも、自分の生存のために武装した。ゼロ年代、女性がみんな武装したんだ。
結果、上位数%しか男として見られないって空気で僕らは青春時代を過ごした。
最前線の女の子はみんな怖いし、そうじゃない人たちはなんか抱えててめんどくさい。もうこうなってしまうと、恋愛なんかできやしない。ってことで、閉じこもって現実から逃げることにした。要するに僕らも作り物の女を信仰するという武装をしたわけ。そうすることで簡単に戦線離脱できる。一種の生存戦略です。ってことで、一部の恋愛できる人たち以外は全員漏れなくメンヘラ化しました。ちゃんちゃん。
そのまんま時代が進んで、フェミニズムを何か別のものと勘違いした自称フェミが、閉じこもってた僕らを殴り出した。ここまでくればわかると思うんだけど、彼女らのフェミニズム(僕はそれをフェミニズムと認めたくはないが)もまた、武装なわけ。本当は半分くらいの人間は恋愛がしたい(だから新海誠が流行るんでしょ)。それを認めちゃうと最前線に立たなきゃならん。完全武装した上で戦線から離脱すれば傷つかなくて済む。なんかそんな人が多いんじゃないかとか思ってしまう。
オタクにしろフェミにしろ、偏った生き方してんのってある意味楽なんだよな。俺が言うんだ。間違いない。でも、そんなんでごまかしたところで、結局半分以上の人は理由はどうあれ人と繋がりたいわけじゃん。
本能的に性欲ってのはあるもんだけど、大概の人間はよっぽどなことがなければ、健全に恋愛してたら作り物の女体を性欲の対象として消費するって行為は少なくて済む。みんなが健全に恋愛しても、二次元美少女コンテンツは減少するとはおもうが、廃れはしないだろうと思う。大なり小なりみんな無理して恋愛してるからね。そういうガス抜きの役割として、エロコンテンツなり、二次元美少女は必要だ。
って、恋愛に絞って話をしたんだけど、それに限ったことじゃなくて、いろんなもんから逃げたくなるような世の中なせいで、みんな武装して逃げるしかないって話よ。恋愛が本当に必要ない人だっているだろうけど、そういう人たちだって何かしらの地獄を見て同じように武装してる。そういう武装っていう意味では、オタクもフェミも一緒なんだよ。
本来こういうのって、草の根的な活動として辛いやつを救済するようなシステムであるべきなんだけど、オタクなり、フェミなりがアイデンティティ化しちゃってるから、システムと敵対するものイコール自分らの人格否定って話にすり替わってしまう。俺からの提言はこれをやめようってこと。
いいじゃん、俺らは俺らだし、お前らはお前らだろ。オタクじゃなくなったとしても、俺は俺だし、フェミじゃなくなってもお前はお前。せっかく武装して逃げたのに、そんなしょうもないもの背負い込んで戦ってたら疲れちゃうよ。そうやって戦うことでしか自分を自分とおもえないのはやめようよ。
結局何が悪いって、ネットの使い方よね。変なアイコンを顔の代わりにして、自分で自分のキャラクターを作りあげてるから、フェミなりオタクなりがアイデンティティ化しちゃうんじゃないかって思う。そのくせして、キャラクターが否定されると、自分が否定されたみたいな錯覚起こすわけでしょ。現実と虚構がむちゃくちゃなんだよ。ネットは現実と虚構の分別がしっかりつく上で、つかない人間もいることを理解できてる人間だけが使えばいい。頭悪いやつにネット使うのは難しいみたいなひろゆきの話はそういうことよ。
最近は、いろんなもんが薄まってごちゃごちゃになってると思う。簡単に人と繋がれるせいで、自分と似たようなやつがたくさんいるって簡単に理解できる。そういう風になると、アイデンティティの確立が難しくなって、好きなコンテンツ自体をアイデンティティにしてしまう人が増えていく。そんなことしなくたって、自分は自分でしかないんだけどね。
ネットを閉じて、街にでよう。自分と同じ人間がいるだろうか?
自分の目から見た街と、誰かの目から見た街は全く違う。ある人は焼き鳥屋の匂いに立ち止まり、ある人は洋服屋に入っていく。見てる部分も興味も感じるものも一人一人違う。
自己の確立に必要なものはそれを感じることだけだ。
それでもやっぱり社会悪(だと思ってるもの)と戦いたいってことなら、そこから先は政治と評論と芸術の役割だ。そういうフィールドにきちんと上がって戦うべきなんじゃないかな。
了