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涼宮ハルヒについて今更語る①〜アニメーションは熱的な死を迎える

お久しぶりです。

 

今更ハルヒについて語りたいと思いますが、ハルヒについて語るためには予備知識として語らなければならない事が多いので、今回はハルヒまでたどり着きません。とりあえず読んでもらえると嬉しいです。

 

私は未だに涼宮ハルヒの憂鬱という作品が好きです。特にアニメ版(二期)の最終回、サムデイ・イン・ザ・レインという回に強い衝撃をうけ、ヤマカンの呪いにかけられました。放映から十年以上経っても、どれだけその回が素晴らしかったかという話を延々するスレッドをクラブハウスで立てたほどです。もちろん参加者は私とたなべさんだけでした。

 

そんな私も最近はめっきりアニメを見なくなりました。

鬼滅の刃などという、今までのアニメや映画の歴史ある技術と、声優さんの素晴らしいお芝居、優秀な作画スタッフたち、そのすべてを冒涜して踏みにじったような下痢便演出の糞アニメ(一切の異論は認めません)が大ブームになってしまったことに辟易したのもありますが、歳を重ねるごとにアニメにあまり熱中できなくなってしまいました。

 

私は富野信者です。私が映像の仕事をするきっかけになった一つにガンダムの存在があることは否定できません。今でも御大が書かれた「映像の原則」という教本の顔をした思想書を握りしめて、事あるごとに引用し、仕事に取り入れ、なんとか飯を食わせてもらってます。尊敬する御大は昔、ガンダムエースのコラムでこんなことを書かれていました。

 

「あなたがアニメを面白いと感じなくなったら、それはあなたが成長したということです。映画や演劇など”本物”に触れてください」

 

御大は色々なところでアニメに夢中になる大きなお友達に冷水をぶっかけるような発言をされています。そこには、「アニメは少年少女の糧であり、成長を促すためのものであってほしい」という、制作者としての切なる願いを感じます。一度登ったはしごは外さなければなりません。なのに、大人はいつまでもアニメの話をしている。アニメを成長の糧とせず、現実逃避の手段に貶めてしまっている。そんな人たち(もちろん私も含まれるでしょう)にも、今からでもいいから成長してほしい。アニメを見るのをやめて現実と戦ってほしい。そのような御大の愛を感ぜざるを得ません。

 

私は御大のような愛に溢れた、人を前に進ませるような力を感じるアニメが好きでした。

 

「子供にもSFがわかるはずだ」という圧倒的な視聴者に対する信頼と、人と人とは言語を通じなくてもわかりあえるという希望を投げかけてくれたファーストガンダム。

人間と自然の関係に支配ではなく、棲み分けという形を提示したもののけ姫。

少年時代の思い出というフォーマットで共存について描き、他者と自己の存在を考えさせる初期のアニメポケットモンスター。

 

私を熱中させたアニメは、作り手の強い意思が感じられる作家性の強いアニメばかりでした。多くのアニメに熱中できなくなったのは、現実逃避を是とするようなアニメが増え、作家性の強いアニメが減ってきたということにも原因があると思っています。オタクという戦闘民族が市民権を得て解散し、アニメが好きと人前で言えるようになってから何年も経ちますが、かつて言われていた「所詮アニメは一時の快楽を得て現実逃避を行うために見るもの」という誤解は今でも根強く残っているどころか、アニメが好きな人間や作り手すらもそのように思い込み、現実の痛みをぼやかすための麻酔アニメばかりが流行ってしまっています。

 

それでは、なぜアニメの中から作家性消え、麻酔アニメが増えているのか?

 

それは、アニメが好きな人間がアニメを作るようになったからです。

 

ガンダムは元々実写映画に憧れて、ハードなSFが好きだった富野さんがアニメに作家性とともにその手法を持ち込んでできたものです。少女革命ウテナは、音楽に寺山修司が主催していた伝説の劇団「天井桟敷」出身のJ.A.シーザー氏を起用するなど、演劇の影響が強く見えます。エヴァは前衛演劇と特撮のハイブリッドです。スタジオジブリ作品は北欧の詩から論文まで、果てしなく広いジャンルから様々な思想を取り入れて作られています。

 

このように、作家性の強い優れたアニメーションは、必ずアニメ以外の世界から得た知見と「これを表現したい」という強い意思を練り込み作られているのです。

 

しかし、ガンダムがどれだけ色濃くSFの世界観を反映していたとしても、アニメとして記号化する際にどうしても元のSF要素は薄まってしまいます。それは仕方のないことです。そして、ガンダムに影響を受けたガンダムみたいなアニメを作ってしまうと、元々あったSFの味は更に薄くなってしまいます。これが繰り返し行われて出涸らしになったのが、昨今の麻酔アニメです。元々の味などすでになく、残っているのはアニメとしての記号だけです。御大が「アニメではなく”本物”を見ろ」と言った意味をおわかりいただけたでしょうか。

 

昨今のアニメ業界に入っていく人間は、そのような知見や意思まで遡ることのできないほどに薄まったアニメを見て育ち、そのようなアニメが作りたくてアニメ業界に入っていきます。結果、雑味や作家性が排除され、似たようなアニメばかりが量産されていくのです。閉鎖された空間でエントロピーが増大し、化学反応が起きなくなっていくように、アニメもまた熱的な死を迎えるのでしょうか。

 

しかし、過去を振り返ると、どんどん薄まっていくアニメーションの中でも、強い意志と独自の演出で劇的な変化を加えた作品が数多く存在しました。次回は、「アニメヒロイン」という視点からアニメの歴史をたどってみたいと思います。

 

果たしてアニメはどうなっていくのでしょうか。

そして、この話はちゃんとハルヒまでたどり着くのでしょうか。