Jeepers Creepers

眠れない夜を、語り明かせるシェアハウス

回想、ミュージカル見て墓参りをした

ミュージカルを見た。

 

ひめゆり学徒隊の話だった。壮絶な沖縄戦を描いていた。僕は結構前のブログでも書いたが、基本的には雑な構成のお涙頂戴な戦争モノは好かない。でも、この作品はとても心に刺さった。何故なら、戦争の狂気を描いているからだ。

 

ぼくたちは戦争を知らない。

でも、戦争が悲惨だって事くらいわかってる。

愛するものが死ぬ体験は誰だってするし、そうじゃなくてもその想像は出来るし、それが理不尽に訪れるって思うと恐ろしい。普段死にたいを連呼するぼくだってそう思う。

 

大概の戦争を扱った作品はそれで終わってしまう。ぼくはそれじゃあいけないと思う。

 

戦争の狂気。それこそ伝えていかなきゃならない。人を殺すのが正義だという教育。弁当屋が弁当を売るかのように人を殺す兵隊。扇動に全く疑いを持たない民衆。全てが狂っている。

 

その狂気の恐ろしさこそ、忌み嫌うものであり、ご先祖さま可哀想とか立派だったとかその手の話にすり替えるのは、もし本当に戦争を後世に伝えて行くという目的の作品なのだとしたら違うと思う。

 

ミュージカル特有の、終わった後のカーテンコールで、それまで険しい顔をしたキャストがニコニコと出てくるのが、僕の恐ろしさを増幅させた。

 

なんだか、戦争が終わって今度は平和という地獄に洗脳されたようだ。

 

この恐ろしい戦争体験をした人間が減って行く事にもまた、恐ろしさを感じる。みんなが戦争を忘れてしまう。本当の恐ろしさと狂った時代を知っている人のなまの話が聞けなくなる。

 

そういう意味で、こういうきちんと戦争の狂気を描いた作品は貴重だ。残して行くべきだろうと思う。

 

ミュージカルだから、劇中で人は大仰に死んでいた。それはそれで良かった。要は思想の違いで、良質なものにはかわらない。

 

僕は人の死ってめちゃくちゃあっさりしてて、残されたものにじわじわと後から効いてくるものじゃないかと思う。その手の残酷さは映画の方が表現しやすいかなとか考えた。

 

終演後、涙を隠して、キャストをやってた友人に手土産を渡した。僕は彼女を愛していた。彼女はそうじゃないけど。それでも彼女の姿を見て安心した。悪い夢から醒めた気がした。

 

帰路に着く。不意に死んだ爺さんと婆さんに会いたくなった。ぼくは両親から愛情を感じたことが一度もない。放任されて育った。親の代わりに愛情をくれたのは祖父母だった。

ばあさんはよくぼくに戦争の話をした。空襲の話や、食べ物がない話は今思えば貴重だ。

高校を出る前に、2人とも死んだ。その時は何故だか悲しくなかった。死ぬということがよくわからなかったから。

 

今になればわかる。というよりも、愛してくれた人を失った実感が今更沸々と湧いてきた、と言ったほうがいい。戦争の話を聞いて思い出した。旧暦じゃあ盆だし丁度いいかと、踵を返して都心にある墓に向かう。

 

何度きても道がわからない。ケータイ片手にぐるぐる回る。途中コンビニに寄ってワンカップ大関を二つ買った。爺さんは酒が好きで歯医者が嫌いだった。いつも虫歯に正露丸を詰めていた。思えば、僕は爺さんに似ている。ゴリゴリ理系で、頭を使うゲームが大好きで、テクノロジーに関してめちゃくちゃミーハーで、酒と女が好きだった。禿げないように気をつけよう。

 

そんなことを思いながら、酒を片手にタピオカミルクティーの店の前を通り過ぎる。そういえば喫茶店のマスターが、タピオカなんておじいちゃんおばあちゃんに飲ませたら喉に詰まらせて死んじゃうよって言ってた。

 

ああ、葉巻が吸いたいなあ

 

どうにか墓に着く。線香を焚いて墓を少し綺麗にする。お盆だっていうのに人が来た気配がない。僕が最初だったようだ。花買ってくればよかった。墓にカップ酒をひとつ供える。

手と手を合わせて思考の海に沈む。

 

自分でも全くわからない方向に思考が進む時がある。なぜ私は今こんなことを考えているのだろうと思うのだけれど、手足が鉛になったかのように、思考の海に沈んでいくんだ。過去の出来事で、もし自分が別の行動を取っていたらどうなっただろうか?とか、救急車に飛び込んで死んだら、てんやわんやになって大変だろうとか、自分が生きてる意味なんてないのだろうかとか。全く意味のないことをズブズブと考え続けている時がある。

 

もう一つのカップ酒をその場で空け、供えたカップ酒に小さく乾杯をして口をつける。空きっ腹だから効く。体が少し熱くなる。墓石に少し触れてから、また来るよって墓を出た。

 

帰り、電車のホームの上りのエスカレーターで折りたたみ傘を落とした。手を滑らせて。傘はコロコロと落ちて行く。拾いに行かなきゃと思うけど、なんだか体が動かない。手足が鉛になっていく。傘はコロコロ落ちて行く。エスカレーターは止まらない。ふと下を見ると、途方もなく続く、青紫。アリスを誘ったウサギみたいに、青紫に向かって傘がコロコロ落ちて行く。

ああ、これはもう諦めるしかないなあ。拾いに行くのめんどくさいなあ。そう思った時にふと我に帰る。傘は足元に落ちていた。

 

 

(了)