どうも、ゴトウです。
職を得ましたが家がないです。
2ヶ月くらいホームレスやらなきゃです。
頑張ります(?)
それは置いといて
友人からラインが来まして、
色々うまくいっててめっちゃ幸せじゃんって人から言われて違和感を覚えた
確かに幸せなのかもしれないがなんか違う気がする。っていうか幸せって?ってなった
とのことだったので
幸福とは何かについて本気出して考えてみました
哲学もどきをやってみるので、ガチ勢の方はコメントなどでご指導願います
そうでない方は、俺の頭の中ってこんな感じだよっていうモデルの一つとして流し見していただければ幸い
幸福ってなんだろう
まずはわたしの記事ではお馴染み、辞書的な意味から
Google先生によると
【幸福】(こうふく)
《名・ダナ》恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること。しあわせ。
反義語: 不幸
だそうだ。
辞書的な意味から考えると、
二つの条件を満たさねば幸福でない
という事になる。考えやすいように書き換えよう。
以下の2条件を満たす時、幸福であると言える
1、恵まれた状態にある事
2、満足に楽しく感じている事
この2条件は一度置いておく。頭の片隅に置いておいて欲しい。
思考実験をしよう
思考実験っていうのは、脳内で行う実験みたいなもので、ある質問に対して答える過程で、どういう筋道を通るかを検証していくことを言う
なのでその答えより、答えに至る過程に注目して見てほしい。
幸せを感じる時って人によって違うと思うんだけど、どんな時にそう感じるだろうか?
ちょっと考えてみよう
美味しいもの食べた時?友人と飲み交わす時?家族と過ごす時?好きな女の子の髪の毛を乾かしている時?心血注いだ作品が評価された時?
もしくは、それらのことが幸福だと感じられるって気づいた時だろうか?
まあ色々あるんだろうけど
オーソドックスそうな例をいくつかあげてみた
いくつかの予想される答えから、共通点らしきものを見つけたので、仮定を立てた
それは
幸福とは瞬間的なものなんじゃなかろうか
って事だ
幸福を感じるその瞬間っていうのはその一瞬であって、後に残るのはその記憶だし、もし、未来に希望があるから幸福だ、という場合は、その未来の、ある瞬間が幸福であるだろうという予想について考えているに過ぎないんじゃないか?
あなたは今幸せか?
それじゃあ、仮定について検証するためにもう一つ思考実験をしよう。
あなたは今幸せだろうか?
この質問に答えようとする時、幸福と答えるにしても、そうでないにしても、あなたは何をもって、そうだと言えるのか?
どんな答えを言うにしても、今自分が置かれている状況について考えるのではないだろうか?
ここで最初の2条件を思い出してほしい。
今恵まれた状態にあるか
今満足に楽しく感じているか
それらを考えた時に、故に私は幸福だ、もしくはそうではないと言える
そうではないだろうか?
辞書的な意味からしてもこれは断定してもいいだろう
じゃあその今この瞬間の状況を、恵まれているかそうで無いか、私は満足しているかしていないかを断定できるのは何故だろう?
今この瞬間の幸福?
今この瞬間の状況を考える時、例えばわたしはいまファミレスで頼んだポテトが多過ぎてちょっと嫌になりながら、ブログを書いているわけだが、
今この瞬間の状況だけで幸福か否かを判断できるのか?
つまり、この淡々とポテトを貪り喰いながらタイピングしているというそれだけの状況だけを見た時、これは幸福か不幸かっていうのを決めれるだろうか?
答えは否だ
判断しようがない。
何故なら、今幸福か?と問われた時、私たちは必ず自分の置かれている状況について恵まれているかどうかを考えるわけだが、
今の状況が恵まれているかどうかは、必ず他の何かと対比しなければ断定できない
例えば同じファミレスでポテトを貪る状況でも、わたしが過去に栄華を極めた貴族で、晩飯といえばシャトーブリアンだったにも関わらず、没落してしまって、今はクーポン使って安くしたポテトを貪り食って、晩飯を301円で済まそうとしているとしよう
そんなわたしに今幸福かと問うたら、不幸だと答えるだろう。何故なら過去と比較して恵まれない状態だし、それについて惨めだと思っているからだ。
仮にわたしが売れないバンドマンをずっとやってて、晩飯といえばなけなしの白米に塩をかけたものをバンド仲間と分け合う生活をしていたとしよう。ところが先日、急に有名になり、曲が大ヒット。途端にお金が入ってきて、今は次の曲を書くために、晩飯を食った後、ファミレスでポテトをつまみに酒を飲みながら歌詞を書いている状況だ。
そんなわたしに今幸せかと問うたら、幸せだと言うだろう。何故なら過去と比較して恵まれた状態であるし、その状態に満足し、さらに飛躍しようとしているからだ。
幸福が持つ二つの相対性
もう一つ、今満足に感じるか否かをどうして判断できるのかという問いに関しても同じ事が言える。
例えば、わたしが生まれてこのかた、ただひたすらにポテトを貪り食うだけの存在で、自分とポテト以外の存在を知覚できない環境で育った人間だとしよう。
その状況に満足するかどうかを判断出来るだろうか?
当然できない。
映画the roomの主人公が、部屋の中だけが彼の世界だったように、その1状況のみしか知らなければ、自分が幸福かどうかは判断出来ない。
我々は様々な状況を知っていて、または経験してきた故にその時と比較して満足か否かを判断する
と言えるだろう
最初にあげた2条件と二つの思考実験を経て、言えることは、
1、今と過去、もしくは未来のある時点を対比した時に、相対的に恵まれている、もしくは恵まれている状態に向かっている
2、今の私が置かれる状況と、他の状況を対比した時(世界と私の対比とも言える)に、相対的に満足である、もしくはそういう感情に向かっている
以上の2条件を満たす時幸福と言えるだろう。
つまり、幸福とは、
今と今以外の対比
今ここにいる私とそれ以外の対比
この二つで成り立っているんじゃないだろうか
そういう意味で、幸福とはある瞬間でも、過去の記憶でも、未来の希望でもない、
「今と私」とそれ以外に対する相対的な状態
であると言えるだろう。
幸福とは、二つの意味で相対的な概念である
これを相対性幸福論と名付けよう
おわりに
はっきり言って、この考えに関してはまだ考察が不足している感が否めない。
もう少し考察して、対話形式の文章でいつか公開したい(いつになるだろうか)
そしてここまで来て、更なる疑問が湧いてこないだろうか
じゃあその「今」って何だろうか?
そして、「私」とは何だろうか?
もうここまで行くと哲学者の仕事なので、わたしがブログで書くかはわからないが、疑問に思った人は永井均の本を見てみたらいいと思う。
正直入門書レベルでも難しかったけどね
俺も勉強せんとだな
ちなみにこの記事を書くにあたり、豊かポリスのY氏に幸福ってなんぞ?って言うラインを送ったら、
人と繋がってる事
と即答され、とても感動した。
相対性幸福論がもし正しいとしたならば、
幸福は他者や自分以外の世界との関連や繋がりなしには成り立たないだろう
他者との繋がりがそのまま幸福であるかはわからない。しかし、それが幸福の根元にあるのは間違い無いのではないだろうか。
それ故に、私が関わる全ての人、そしてこの記事を読んでくれた人に感謝してこの記事の締めとしよう。
ご精読ありがとうございました
(了)