Jeepers Creepers

眠れない夜を、語り明かせるシェアハウス

twitterはやってるんだけど...

はい、どうも。

Jeepers Creepers の不法居住者担当のにじのくろねこです。

 

なんか書きたくなったので書きます。

なっがい文章になるかもです。

 

昼夜逆転の自堕落生活の中、おもむろにtwitterを開くと、とある記事を発見しました。

 

https://note.mu/take/n/n4f9bbecabc9d

 

この記事本当に面白かった。

読んでみたら面白いかもです。

 

で、この記事を読ませていただいた上で思ったことがあるのでソレ書きます。

 

 

SNSは適材適所

 

 

 

始めに、僕はtwitterをめっちゃ使う。

面白い人がたくさんいるし、面白い世界がその人たちの数だけ存在しているし、そのグラデーションを楽しむのが本当に面白いから。

 

反面、instagramはまったく使わない。

instagramにだって面白い人はいるはずだし、twitterでフォローしている人たちにもinstagramを使っている人はいるのにまったく覗かない。

 

それは単純にinstagramに興味がないだけなのかもしれない。

twitterが大好きすぎてそっちに割く時間をもったいないと感じるからかもしれない。

 

この辺なぜなのかなぁ?

と、ふと疑問に思った。

 

疑問に至る発端としては、上記事を読む日の前日のことです。

数少ない友人達と数少ない会う機会がありましてですね(別に友達少ない寂しいやつアピールではなくて、僕は意識的に交友関係を小さくしているだけです)

 

おしゃべりしていたときに友人がinstagramを開いて動画を撮り、のちにそれをアップしていたわけです。ストーリーってやつですね。(使ったことないから間違ってたらゴメンよ)僕も一緒に映ったりもした。

で、その時に「そういえば俺インスタせんな、なんでやろ?まあ興味ないだけかなぁ?」って思い、結局は煮えきらんかったわけですが。

 

翌日、もそもそと布団から脱皮してボケた頭でtwitter見てたらさっきの記事が流れて来て「ああコレだ!!」と合点がいく部分があったのです。

 

上記事の内容から抜粋させていただくと「twitterは言葉のメディア」で、「instagramはイメージのメディア」と分けられるようです。

 

そして、twitterにハマる人は世界を言葉で捉え、instagramにハマる人は世界をイメージで捉えるとのことでした。

 

これ、すっごい納得感。

 

なるほど、確かに僕はことあるごとに感じたことを言語化してハッキリとした輪郭を持たせようとする癖がある。

 

ていうか抽象的な感情を、ただ感じたままにしておくことに不安定さを感じる。モヤモヤする。

 

モヤモヤするという表現では飽きたらないので、もっとスッとする表現はねぇのかとひたすら言葉を探る。

 

そういう人間からすると、手軽に言語化するための手段としてtwitterは魅力的なんじゃないかなと。(いや、モヤモヤする自分としては手軽ではないか)

 

で、instagramのような抽象度の高いものはなんだか肌に合わない。

うーんというか、やっぱり単純に興味ないだけだな、これは。←考 察 の 意 味 は?

 

だってもう記事読み終わった瞬間に「SNSの選択って要は向き不向きの適材適所」ってことだなぁって概念をまとめようとしてましたし。

 

ほんっと“適材適所”って言葉便利。

言葉もそうだけど、考え方や生き方としても良いと思う。

 

話逸れた。

 

 

 

 

twitterは文脈主義メディア

 

ちょっとtwitterの話を掘り下げます。

 

前述に twitterを使う理由として

「 面白い人がたくさんいるし、面白い世界がその人たちの数だけ存在しているし、そのグラデーションを楽しむのが本当に面白いから。」

 

と述べたんですが、これをもう少し具体的に言うと

 

「呟いたその人の思考や思想を多分に含んで表現された文章を読むのがほんとに楽しい」ってことです。

 

これがtwitterの一番面白いところなんじゃないかと思うんです。

だってまったく自分と違う価値観、世界観、そして人生を歩んでいる人の言葉をサクッと見れるわけじゃないですか。

 

それが自由な発言をしていいtwitterの醍醐味というか。要は簡単に人類総表現者になれるメディアなんですよ。思ったことをポンと言うだけですから。

twitterは面白いもんで「今日はウンコが全然出なかった」から、「人生とは人間とはなんぞや」みたいな、まさにウンコから哲学までバンバン吐き出させてしまう。

そこが狙いでしょうけどね。

人間の心理を巧みに利用した、SNSの甘い罠ですよ。

ひっかかってますよーー!!!みなさん!!!

 

 

もちろん、そこでは虚実入り混じることは百も承知です。

どうでもいいこともあります。

画面の向こう側には全然違う思惑があるかもしれない。

しかし「文章」を書く時というのは否が応でも「考えてしまう」。

とりわけ何か「伝えたい」場合や、「頭の中のイメージ」になんとか「形」を与えてやりたい場合はやはり考える。

それは積み木を組むのに似ていて、完成する形も様々。ちぐはぐだったり、理路整然としていたり、サクッと形にできる人もいれば、やはりどこか表現に納得のいかない部分がある人もいる。

 

そうやって速さや精度はあれど「考える」という行為を経て生み出された文章には、その人の個性が否が応でも出てくる。

140字という制約もまた一つの要因です。

 

そしてネットの匿名性もその一因を担います。

皮肉かな「匿名性」は外面を隠すことはできますが、それによって内面の自由が担保された状態を作り出すので、むしろ顔を付き合わせて喋るよりも人間の内面性というのが見えるのです。良くも悪くもですがね。

 

「顔を付き合わせて話さないと内面なんて分からないよ!!」という人もいると思いますが、僕が求めているのは対話じゃなくて、その人の誰に向けるでもない、ただ「言いたい」という本音なんですよ。

もちろん、顔を合わせて本音で語り合える人はいた方がいいですが、そんな大勢求めるもんでもないです。

twitterはそれをサッと見れる。

知らない誰かの本音を片鱗だけでも見れる。

例えばそれは行き場のない思いや、自分自身への葛藤でもいい。別にシリアスで凝った内容じゃなくて、単純に「あれが好きだ」「これが嫌いだ」っていう思いでもいい。思考をアウトプットして整理するために使う人もいますね。

「そんなんメモ帳でいいじゃん」って思う方もいると思うんですが、誰かに見てもらうという意識はモチベーションに効果的に作用するんですよ。

 

個人が好きなものに対してガンガン掘り下げてるツイートなんてもう大好きです。

直接「これが好きだ」なんて言わなくても、発言の中で「ああ、この人ほんとにこれが好きなんだろうなぁ」と勝手に思えるやつですね。そういうのは大抵専門知識が半端ないし、その人だけの感性が全面に押し出されていたり、もうぶっちゃけ個人の性癖暴露大会です。

ほんとに面白い。

 

あと僕に関しては、メモとってもどうせ見ないんで、吐きだめ的にtwitterをしてます。

 

 

そして何より、面白いのはその人の歴史が垣間見える瞬間があるということ。

 

 

個人の歩んできた文脈(ものがたり)。

twitterのタイムラインはまさにそれが結実して現れる場所。

 

なんらかの創作活動、表現活動をしている人なんて顕著です。

タイムラインがまるで一つの長編小説のようになっている方もいます。

 

その人の日常の中でも起こる様々な出来事を受けて、想起される様々な思い。

それがその人独自の語り口で言葉にされ文章化され、その一時だけを切り取ればそれはただの脈絡のない「呟き」でしかないものが、どんどん積み重なって行くとやはりなんらかの文脈性を帯びていきます。

 

その文脈に、その人の「思想」「思考」「感情」「生格」「生き方」つまりは、個人の人間性が現れてくる。

そして人の数だけ様々に存在する。

 

それはもうバカにみたいに色彩豊かで、きっと僕の処理能力では抱えきれないほどの膨大な種類の色が混ざりあったカオスな空間です。

バカもいます。頭のいい人もいます。好きな人も、嫌いな人も、しっかりした人も、ダメな人も、面白い人も、つまんねぇ人も、善人だって、悪人だって、聖人だって、クズだって、誰だっている。

 

その複雑性の飽和したカオスの中に、僕は世界が案外シンプルだということを感じます。

みんな知ってることしか知らないし、できることしかできなし、好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いで、相変わらず僕はダメ人間です。

 

僕は完全にtwitterを「読み物」だと思っているので楽しくてしかたない。

 

それはきっと究極全部他人ごとだと思っているからです。

所詮、表面化している事実しか僕らには見えないので、その奥にあるものに関して想像することができたとしても、いちいち首を突っ込むのは野暮ってなもんです。

 

twitter上では、主にリプで余計なお節介というかお説教する人が見受けられますが、基本的にネット上で、まあ現実世界でもですが、他人が他人の生き方云々にああだこうだ言うこと自体なんか、トンチンカンなことをやっているなぁと言う印象です。

僕に至っては他人様の生き方どうこうなんてどうでもいいし、好きにやりゃあいいし、こっちに迷惑が被れば無視して勝手に距離置きます。

つーかこっちは自分のこともままならんので、いちいち人の人生に口出しする人を見ると、むしろどんだけ余裕があるんだよって感心しちゃうんですが(褒めてません皮肉です)。

 

そういうのも含めて、面白いっちゃあ面白いですよ。

この人、他人の生き方とか内面とかを分かったみたいな文面で話してるけどエスパーかなにかか?みたいなww

 

きっとストレスたまってらっしゃるんだろうなとは思います。

他人に妬み嫉みをぶつけたくなるときもあるだろうし。(まあ標的にされた側は知るかボケでしょうけどね笑)

それ以上の気持ちは湧かないし、湧いてもイラつくだけなのでサラーっと流します。

 

なので基本的にtwitter見ていてその人個人にあんまイラついたりとかはしないです。膨大な情報で矮小な頭がパンクするときはままありますが。

軽いエッセイを読む感覚ですよね。

究極の一人称視点ですからこの上なく面白い。

 

 

僕はエッセイ漫画が大好きでよく読みます。その辺はまた次回話します。

 

とはいえ、こういう楽しみ方ができるようになったのは、やはり文章を読むことだけを徹底して気をつけたからですね。

twitterはあくまで個人の呟き(表現)の場ですから、あまり深入りするよりも、単純に文章を楽しむ「読み物」感覚として見ないと、変な話、ストレスを抱えます。

「このツイートは俺のこと言ってるんじゃねーのか?」みたいな...

そういう自意識が肥大化している場合はあまり見ない方がいい。

 

 

そういう「文脈に巻き込まれる」事態に陥りそうな人は「読む」メディアであるtwitterは精神衛生上よろしくない。

 

ほんとあれ、こと「読む」ことに関しては気をつけないとダメよ。

賢いふりしたバカ(僕みたいなやつ)の発言にわざわざ巻き込まれに言ったらしんどいよ。

読解力がついてないなら「深く」読むことはやめた方がいいです。むしろちょっとでもイライラするならそっ閉じしましょう。

 

 

 

顔が見えないことをいいことに特定の個人を指差して誹謗中傷(単なる人格否定でなんの批判にもなっていないやつとか、知った口聞いてるやつ)してるやついるでしょ?

ああいうのは、結局は人間の心理でどうしようもないです。自分に向けられていなくても、目に入ると不愉快な気持ちをするときがあるかもですが、まったく関わる必要がない。

気にしてるとストレスだけが溜まります。

過度なストレスは生物の敵です。

 

何度も言いますが、賢いふりしたバカ(僕みたいなやつ)にはほんとに気をつけてください。

 

twitterでいうと、タイムラインには所詮、断片的な情報しか乗らないにも関わらず、たったそれだけで個人の内面性等々を知ったつもりで結局は憶測でしかものを言っていない、なんなら根拠もちぐはぐで身も蓋ないこと言ってる、あるいはそもそもこっちが求めてもいないアドバイスと称したその実単なる粗探しで自己顕示欲満たしたいだけの、究極的にはこいつには俺からビシっと言ってやらなならんわみたいな説教マンとしての自分に浸ることでなんか「大人としての責任果たしましたよ」みたいなこと言ってるけど、お前匿名で安全圏から物言ってる時点で大人もクソもないしお前が説教してる相手(匿名の場合)となんも変わらんやないかーい(1.5倍速▷▷)

っていう奴です。

壮大なブーメランを投げている人を見かけたら、それが目印です。

あるいは今の僕です。

 

大抵はなんらかの行動を起こしてあくせくしている人たちのリプ欄に生息しています。

僕は他人のやることに口を出すなど恐れ多いチキン野郎なので、遠目で見るだけです。はい。

 

 

 

そう、ほんとアレ(僕みた(ry)はどこにでもいます。

ネットでもリアルでも。

ネットでは大抵は匿名であることに無自覚ですし、「別の主語」をとって攻めてきます。社会だの世間だの常識だの、と言った実体のない「虎の威」を借りてきたり、本人にはどうしようもない部分を盾にとってきたりしてなんか言ってきます。

例として

「そんなの世間が許さねぇからな!!」←じゃあ“世間”さんを連れてこい

 

「あなたのことを不快に思う人もいるんですよ!!」

←うん、だからその“人”を連れてきて?

 

 

ストレートに「私、あなたのことが嫌いです(ジト目)」って言ってくれた方が、よっぽどこうふn...じゃないや、素直でいいですよ。

 

 

匿名な上に主語にもマスキングをかけるなんて、お前はステルス迷彩を着用した上にナノマシン制御で痛覚を遮断した伝説の傭兵か。

 

知ったかぶりはよすんだよ...

君の知っていることはあくまで、君が現状知っている範囲のことしかなく、知らないことは知らないでいいんだよ...

無知は罪だ。

けど罪ではあっても悪ではないんだ...

だけどね、ほんとは知らないのに知っているなんていうのは悪だ、その上で知ろうともしないなんてそりゃもう極悪だ。

君が今目の前にしているのは、ディスプレイに映し出された文字であって、本人は目の前にはいないんだ...

だからもういいんだよ...

いちいち知らねー誰かのことでイライラしたりストレスを抱えたりするのは..

ムカつく奴はムカつくでいい。

嫌いなものがあるということは、好きなことがあることと同様に素晴らしいことなんだ。

理解できないものに嫌悪や恐怖を覚えるのは生物としての本能さ。

でもね、ムカつくそいつはブロックするなりすれば目の前から消える。

嫌いなものに構い続けるなんてそれこそバカみたいじゃないか。それも赤の他人にさ。

ほらもう、わざわざ、親の仇でもとるみたいにツイートをスクショせんでもよろしい。

なんか被害にあったのか?

そうかそうか、じゃあネットに詳しい弁護士を呼ぶんだ...

 

おほん。ちょっとふざけすぎた。

閑話休題

 

これほんま気にしたらあかん。

面白がるんがちょうどいい。

まあムカつくのであれば喧嘩も一興です。本気で相手にすると時間の無駄とわかります。

そう言ったツイートを見て、あるいはすることで共感し合い被害者意識や敵対意識に浸かりすぎると最終的に誰に嫌われるって、自分自身に嫌われます。

僕はtwitter始めたての頃(と言っても始めてまだ現時点で1年も経ってないですが)、そこんとこを理解してなかった。

 

その反省を踏まえた上で、現在はtwitter は「読み物」なんだという路線にシフトしました。

そしたらめっちゃ楽しい!!!

 

みんなもtwitterは「読み物」だと思って、自分のことで役立つ情報はどんどん仕入れていこうな!!

 

まあこれは僕なりの楽しみ方なんで。

異論はガンガン認める。

 

話が大きく逸れたけど、結果、僕がtwitter大好きな文脈主義人間でしたって話です。

あっinstagramは刹那主義的かと思いまーす(てきとー)。

 

 

それではこの辺で。

 

 

 

さようなら。