煙の国のアリス
「ごきげんよう」
グレースケールの都会の喧騒に塗れた雑居ビルにぽっかりと空いた穴の中で、フリフリ服のアリスは煙を吐きながら微笑んだ。アリスの微笑みに誘われるように、僕は穴の中に吸い込まれていった。薄暗い穴の中は、クルクル光る薔薇に照らされ、いくつもの歪んだ時計がバラバラの時間を示していた。
「なんでもない日をお祝いしましょう」
アリスが持ってきたのはアールグレイと、水タバコだった。フリフリ服のアリスがアールグレイをアザレアのようなティーセットに注ぐその姿は、風に揺れるライラックそのものだ。アールグレイを口に含むと、極彩色の香りが鼻腔を支配した。歪んだ時計がきりきり回る。いつの間にか同席していたトランプたちはこちらをみている。僕たちの世界ではトランプたちがこちらをみていることが特別なことだけど、この穴の中では僕らが紅茶を嗜むことが特別なことなのだ。
「こちらをどうぞ」
煙を吐きながら微笑むアリスに勧められ、僕は水タバコのホースを手に取った。マウスピースから煙が口を通り、肺の中に侵略してくる。吸い込んだ煙はパンケーキに変わり、キャラメルの風味を置いてけぼりにして、入ってきたところから脱獄する。甘美な煙は中世の十字軍のように、アリスの神聖なる命令の元、僕の脳内を蹂躙して通り過ぎて行った。
「お味はいかがですか?」
アリスの声はカスタードクリームに変わっていた。天井に描かれた模様が時空を歪ませる。くるくる回る薔薇が僕らを照らす。歪んだ時計はきりきり回る。キャラメルは煙になって空間に溶け出し、僕をレイプする。心地よさに支配された体はぐねぐねと空間に同化していく。薔薇薔薇まわるトランプに照らされた穴はマウスピースで、煙はきりきりのアールグレイはカスタードで、天井が僕なのだ。
「またいらしてくださいね」
アリスの声で目が覚めると、そこは雑居ビルの前だった。
そうして僕はまた、グレースケールの都会の喧騒に溺れていくのだ。