取り消せよ……!!! ハァ…
今の言葉……!!!
ご無沙汰してます。
ムッシュムラムラです。
性癖の話をします。
負けヒロイン
この概念に忌避感を覚える方も少なくないでしょう。
特に複数のヒロインが登場するハーレムもの作品などでは高確率で避けては通れない存在。
メインヒロインに負けず劣らず魅力的でありながら、相手に選ばれなかった、想いを伝えられなかった、想いを拒絶されてしまった、そんなヒロインのことを人は万感の思いを込めて負けヒロインと呼びます。
ハーレムものに限らず古今東西あらゆる男女の絡みのある作品で“彼女たち”は生まれ、場合によってはその顛末に納得のいかなかったオタクたちの神(作者)に対する怨嗟の念がどこまでもどこまでもこだまする。
下手を打てば戦争の火種にもなりかねない負けヒロイン。最近でもとある人気ラブコメ作品の結末如何について軽く戦争が勃発しておりました。もう主人公を本当の意味で五等分にするしかないね。
そんな「負けヒロイン」と言う概念が僕は大好きです。
「秒速5センチメートル」の澄田花苗
「CLANNAD(アニメ)」の藤林杏
「とらドラ!」の櫛枝実乃梨
「魔法少女まどか☆マギカ」の美樹さやか
etc...
まぁとにかくいろんな作品で負けヒロインを好きになってしまいます。
厳密に言うと「負けそうなヒロイン」を好きになって、挙句負けたらもうほんとわけわからんくらい好きになってしまいます。
つまりそのヒロインのビジュアルが好みとか性格が好み云々からの興味ではなく、僕は作品中で「このヒロイン負けそう」という匂いを感じ取ると無条件でそのヒロインを好きになるわけです。
負けヒロインの負けヒロインたる所以を愛してしまう拗らせた生物がここに。
有名どころはあんまり押さえてないんですけどラブコメとかはそれなりに嗜んでいる方なので、 基本は作中のヒロインの紹介パートの段階でこの子負けそうだなというだいたいの目星がつきます。(負けヒロイン好きの諸兄には伝わると思う)
なんか感覚でわかりません?
ホラー映画とかで、「あ、こいつ死にそう」みたいな感じで、「あ、こいつ負けそう」っていう謎の勘が働くんですね。
その後ストーリーが進んでいくにつれ、相手の幼馴染みとか、ずっと片思いしてるとかそういうステータスに関係なく、もう話の流れ的にこの子勝てねぇな...という確信が生まれていきますよね。
そんな外野の人間の邪推など関係なく、主人公に献身的にはたまた破滅的に想いを寄せていく負け(予定)ヒロイン。
そして劇的であろうがあっけなくであろうが、そのヒロインは負けヒロインとしての最終局面を迎えます。
その時に沸き起こる、あのなんとも言えない感情。
「もののあはれ」とはあれを指すのでしょう。
つまるところは諸行無常の感応。
儚さを醸し出す負けヒロインの哀愁を摂取することで、気持ち悪い美的探究心を満たす自慰行為。
僕の負けヒロイン好きの端を発するところはそこにあるわけです。
感動ポルノ的な側面は否めませんね。
ただ、ここでもう少し踏み込んだ話をしたい。
負けヒロインの美学
言うまでもなく負けヒロインの負けヒロインたる所以は想いを成就出来なかったという絶望にあります。
死に至る病なんて言いますが、想い人と結ばれなかったことは少なからず決定的な絶望を負けヒロインにもたらします。
その絶望如何ばかりかというわけなんですが、その後の負けヒロインの描かれ方も様々です。
吹っ切ったような感じで爽やかに終わるのもあれば、未練たらたらなんてのもあったり...
魔女になったり
主人公刺したり
ダイジェストでさらっと流されたり(おそらくこれが一番オタクの逆鱗に触れる)
といろいろですね。
で、僕は負けヒロインのその後に想いを馳せる度に、とにかく切実にもっといい男捕まえて主人公とメインヒロインよりも幸せになってくれぇ...!!!という無言の叫びを送っています。
これは非常にエゴイズム満載の私怨に近いんですが、
「いやそいつと結ばれなかったら全部終わりとかそんなんあってたまるか」
という精神。
負けヒロインの負けヒロインたる所以を好きでありながら、いやそれも相まって「負けヒロインがなんぼのもんじゃい」という反骨精神が僕の負けヒロインに対する想いを助長しています。
なので僕は負けヒロインがその後他の誰かやその子なりの選択肢を選んで幸せになってる描写とか入れてる作品とか死ぬほど好きで、その度に「ざまぁみさらせ!この子は他の道でも幸せになったぞこの野郎!」と勝手に勝った気分でいます。
ここまでお読みの方は薄々勘付いたかもしれないんですが、僕はラブコメに於いて基本的に負けヒロインの想い人を憎悪します。
というか、負けヒロインを好きになることと相手の男を憎悪することがセットになっていると言っても過言ではない。
嫉妬もそらあるんですけど、なんか恋愛に限らずなにかしらにおける「運命」みたいな「この人じゃないとダメ」、「この選択肢じゃないとダメ」みたいな感覚にコンプレックスがあるんです。
「正しさ」や「これはこうあるべき」という感覚に対する反抗心。
そんな運命とやらにそっぽむかれて絶望に苛まれるほど想い人に対し執着していた彼女らの、しかしそれ以外の選択肢でも幸せになることができるかもしれない、あるいは思い返すとそもそもその幸せは別にいらなかったかもしれない、という希望といえば聞こえはいいそんな「別に大丈夫でした」みたいなあっけない可能性。
そんなものに胸のすくような爽快感を覚えるとともに、人間の浅ましさが垣間見えてとても愛おしくも思います。
「恋物語」での貝木泥舟の「かけがえのないものが嫌いだ」というセリフは、端的に僕の心情を表していて非常に好きです。
「『これ』がなきゃ生きていけないとか、『あれ』だけが生きる理由だとか、『それ』こそは自分の生まれてきた目的だーーとか、そういう希少価値に腹が立って仕方がない」
そんなことを言う彼も片想いを拗らせてずっと憧れの女性の影を頭から拭いされていないところが滑稽なほどチャーミングです。
だからこその響く言葉な訳ですが。
まぁ、別に主人公くたばっちまえみたいな本気の殺意ではなく、作品における憎悪の感情は最大級の関心でもあるので、僕は登場キャラが憎ければ憎いほどその作品に愛着が湧きます。
「やがて君になる」の七海燈子とかふざけてんのかってぶっ飛ばしたくなりますね。
ほんと大好きです。
愛憎はセットです。
腹の立つことですが、可愛さ余って憎さ百倍は言い得て妙です。
転じて憎さ余って可愛さ百倍です。
好き嫌いのように単純に分けられない、面倒くさいことこの上ないですね。
行き過ぎた愛が人を殺せるように、度を越した憎しみが時に人を生かすことももしかしたらあるのかもしれない。
とくに今期は「波よ聞いてくれ」と「イエスタディをうたって」という、そんなこじらせた人間のための作品が絶賛放送中なんで皆さんもよかったら見て、原作もチェックしてみてね。(唐突な布教)
以上、負けヒロインの美学でした。