どうも、ご無沙汰しております。
にじくろです
低浮上すぎて毎回誰お前?って気分
突然ですが、名義変更します。
特に大した理由はなく、今の名前に飽きたのと、最近絞りかすのようなセンスで生み出した新しい名前の方に愛着が湧いてきた(この理由は後付け)のでパパッと紹介します。
新名義は「ムラサキヒバナ(紫火花)」です。
以降、略称はヒバナで通していきます。
新しいアイコンと新名義での軽い自己紹介(誰も求めてないであろうこの名前の意味の説明とか)は別枠で改めてやります。
変更に伴い過去記事の名義も統一します。
大家さーん、部屋の表札変えちくり〜
では、本題
Thema:君だけは大人にならないで
今回も人の企画に全乗っかり
ここの住人の一人後藤さんの書評リレーという企画です
で、今回僕が選んだ作品はこちら
月曜日の友達:著 阿部共実
タイアップでamazarashiが曲書いてるのそっちも是非
なるべくネタバレは控えるつもりですが、無理だったらごめんね。
ざっくりとした作品概要としては、いたいけな中学生の女の子と男の子を中心に展開される、大人と子供の間で揺れる中学生の「大人とは?大人になるとは?」という葛藤と、秘密の友情を描いた青春ドラマです。
主人公は女の子なんでボーイミーツガールならぬガールミーツボーイ。
この作品、と言うよりこの作者さんの作りだす物語としては相当真っ直ぐな作品です。
もちろん他作品がひねてるってわけではなく、どの作品も真っ直ぐ届いてくるものなんですが、とりわけこの作品は「ストレートを投げる」と宣言してちゃんとストレートを投げると言った感じの清々しい作品です。
ベタな青春モノと言われればそれまでなんですが、僕はこの作品が大好きです。
取り上げられたテーマ、登場人物、世界観、描写、物語の構成が素晴らしいことはもちろんなんですが、何より僕が好きなのは「雑味」がない事なんです。
物語というのはどんなに現実に忠実に寄せようとしても必ず脚色が入ります。
それは人間が現実をどう捉えているかはその人次第だからです。
いえ、むしろ人間は現実を生きているのではなく、自らの主観の世界、つまり「物語の世界」を生きていると僕は思っています。
「価値観」と言い換えてもいいですね。(この言葉は便利すぎてなんだかずるいなぁと思う次第です。なんだかんだ使いますけどね)
だから作者がどんなにリアルな風景、リアルな息遣い、リアルな心情を描こうとしても、そこには主観の脚色が入り、それは他人と食い違うこともありますから、どうあがいてもそれは「作者の物語」でしかなく、ときに受け手にとって実感を遠く離れたものになってしまうことがあるわけです。
なんだかピンとこない話をしてしまっているかと思いますが、これがある意味僕にとっての「主観」であり、つまり僕の見ている現実の話、「僕の物語」というわけです。
僕の物語は、そしてこれを読んでいるあなたの物語は、もしかすると似通っているかもしれませんし、もしかすると絶対に相入れないかもしれません。
ふわふわしすぎてるのでちょっと具体例を。
僕は恋愛モノのドラマ、映画なんかがどうにもピンとこなくて、これは僕は屈折した恋愛しか体験してなかったりだとか(うるせぇやい)、そこまで恋愛を主眼に置いた価値観を持っていないから、作者の提供する「物語」と僕の「物語」の間で齟齬が起き、果たしてどうにもピンとこないことが多い、というわけです。
別に娯楽の趣向に限らず、「物語の食い違い」はどこにでもあります。
目玉焼きには醤油か、ソースか。
きのこか、たけのこか。なんていい例ですね。(何が始まるんです?)
まぁこういった僕の個人的な「物語」に沿って語らせていただくならば、月曜日の友達にはそういう齟齬が全く起こらなかった。
つまり、雑味がないとは、この作品が提示する物語には僕の物語と摩擦を起こす部分が全くなかったということです。
じゃあ単純に自分の趣味に合った話だっただけなんだろうというと、そういうわけではなく。
この作品は、僕と相入れない考え方のキャラクターや、またこの作品以外で提示されていれば「いやそれは違う」と首を横に振るような価値観を提示してくる場面が出てくるにも関わらず、いつのまにか記憶でもすり替えられたみたいに「僕の物語」の文脈に入り込んでいたのです。
理由は分かったり分からなかったり曖昧ですが一つ言えるのは、作品の中の彼、彼女らが、私たちとまったく同じように「物語の食い違い」を起こし、そのぶつかり合いの先にどちらかの物語を食い潰すのではなくある種の共存、統合を見せたからだと思います。
別に綺麗さっぱり解決!なんてことはなく、ただただ目の前にある喜びも不安も葛藤もあるがままに受け止めて、矛盾やすれ違いを抱えることを是とし、つまずき転ぶことを否定しない。
そういう「大人になる」という結末を迎えるわけです。
おいおい中学生でどんだけ悟るんだwって感じですが、僕が中学生の頃ってなんか今よりいろいろ頭抱えてたなぁって思い出しまして、彼らはあのとき答えを出せた場合の僕だったのかもしれないです。
主人公水谷の葛藤、大人になることへの疑問とそれとは裏腹な焦り。それはどこまでもダイレクトに、いま、彼らの年齢の先にいる読者の記憶と琴線をなぞり、そしてそれらを否定することなく内包する形で答えを提示する。
それはかつて彼女と同じ歯痒さを感じ答えを出せなかった人たちに対する救いであるのかもしれません。故にその実感も一山幾らで片付けられないほどにあるということ。
僕の大好きなシーンが二つほどありまして、一つは二巻6話中盤、主人公水谷と、その友人である土森が公園で話すシーン。
月曜日の夜に秘密の待ち合わせをするもう一人の主要人物、月野とのわだかまりについて悩む水谷に、それまでさほど物語に干渉しなかったポジションの土森が「大人になるっていうことは」と助言を託す場面。
彼女は物語冒頭、水谷と周囲とのすれ違いを象徴する人物の一人に数えられていました。
しかしそこで水谷に穏やかに語りかける言葉の一つ一つに僕は、少し前ならこんな言葉はねつけてやっているのにと思いつつ、全く喉につっかえるものなく飲み込めている自分に大変驚きました。
彼女もまた水谷の物語を、そして水谷の物語を通じて読み手のカタルシスを構成するための大事な役割を担っていると実感するシーンです。
※ここからめっちゃネタバレ(ごめんね)
もう一つは七話終盤、学校唯一の不良少女、火木が(この子が一番すき)、亡くなった兄の幽霊(かもしれない存在)に話しかけるシーン。
もうダメ。なんかこのシーン、ダメ。(急激な語彙力の崩壊)
初めて漫画読んで泣きそうになった。
こういう生きるの下手そうな、しかもちょっと腫れ物扱いされてる子はさぁ、出してくるのダメだって。
この作品を読んだ当初、このシーンに至るまでにいろいろ新しい感情を学んだので、不意打ちにやってきたこれにノーガードで揺さぶられてしまった。
ここ、前述の「大人になるっていうこことは」のシーンと打って変わって無邪気な子供の有様を対比的に映してるのが、秀逸。
大人と子供の中間に当たる中学生という年齢設定を活かした素晴らしい演出。
ここすごい泣きそうなの堪えて読んでたんですけど、(漫画で泣くとかなかったので軽く動転していた)ここでとどめのセリフがきて
「私は中学生になったんだ!もう心配なんていらねぇからな。」
泣いた。(即堕ち2コマ)
失礼。興奮のあまり文章の乱れが。
この作品、テーマは「大人になるとは」
だと勝手に思ってるんですが。
僕はこの作品を読むまで、「ヤダヤダー!大人になんてなりたくないでちゅううう!」といった感じだったんですが、これを読んだあとは、あぁ大人になるってなんか身構えてもしゃあねぇな、と思うようになりました。(いいのかそれは)
けっこうなパラダイムシフトをもたらした作品です。
是非読んでみてね。
曲もMVもいいよ。
それではこのへんで。
さようなら