元号が変わった。
どうも、無職です。
令和という元号が気に入らないです
それだけの話をします。
平成という時代
私は平成、というよりはゼロ年代とジュウ年代に強い思い入れがある。
ゼロ年代の記事を以前書いたが、ゼロ年代からジュウ年代というのは、マイルド化したヤンキーと、ポップ化したオタク、つまりはうちら族とぼくら族の文化である。
詳しくは過去記事を読んで欲しい。
ジュウ年代、オタクは死滅し、本物のヤンキーはテリトリー以外に幅を効かせることはなくなった。
代わりにポップ化したオタクとマイルドヤンキーが流行を支配し、そのどちらとも呼べない人種を「陰キャ」と呼び、無意識的に区別する。そう呼ばれた彼らもまた、俺たち族を形成して、別世界に閉じこもる。
そのような時代であった。
陰キャ的サブカル世界の観点から見た平成とは、平和が成ったのではなく、誰もがどこかの蚊帳に入り、仲間を見つけ、平らに成らざるをえなくなった時代である。
平成が終わり、令和になる
平成末期に起こったことは、同じ蚊帳の乱立であった。
ぼくらとうちらの蚊帳にいた発言力の強い奴は、蚊帳の設計図を盗んで同じような蚊帳を立て出す。ほかの奴らは、同じような蚊帳を行き来する。蚊帳をたてた奴らをインフルエンサーと呼んで。
サブカル間の異種族、または同種の闘争は、初めからそのような性質を孕んでいるヒップホップという文化を除き、次第になくなって行く。
趣味や文化は、アイデンティティへと収束するであろう。個がそれぞれの好みの蚊帳を出入りする。そこに所属意識は存在し無い。そんな時代になるだろう。
個と個が干渉しない、冷たい平和が成るだろう。
令和
和せ令しまん
つまり、平和でなければならない
平らで平等に成ったが故に、そこから外れようとするものは決して許さない。
設計図から作られた蚊帳以外を許容してしまえば、自らの生き方が本当に正しいのかわからなくなる。
それ故に積極的に争わないが、黙殺する。サイレントマジョリティこそが尊い存在かのように。
そんな空気を感じてしまう。
また、昭和の時代、いい思いをした奴ら。
いつまでもその幻想に縋り付く奴ら。
そういう奴が日本を動かしている。
過去の東京五輪や万博のいい思いに縋り付き、現実から目を逸らして、悪路を突き進む。
貴様らの思い出の為に国家予算を使うんじゃないよ
蚊帳に篭った若者は、そんなことには興味はない。そうなるように仕向けたのは、文科省の悪い大人だ。
奴らは奴らがぬくぬくできるように、蚊帳の外の環境を動かす。
まるで全てが平和かのような顔をして。
気づいた奴は蚊帳の外で途方にくれる。
そういう環境を作り上げて。
昭和の和と文字が被ったのは偶然ではない。
幻想に浸ってる馬鹿どもが
平和でなければいけない
そんな時代になりつつある
過去の栄光に縋る大人と、何も考えずに蚊帳を出入りする若者たち
そういう構図にしか見ることが出来ない私は、とてもじゃないが平和であることはできない。
それ故に令和という元号が気に食わない
という事で文句を吐き散らかしました。
令和という元号が発表された瞬間ここまで妄想して辛くなりました。はっきり言って曲解以外の何物でも無いことは自分がよくわかってます。
いじけ方が複雑過ぎるから、もっと単純ないじけ方をしなさい
そんなことを松岡pに言われた、ゴトーでした。
(了)