どうも、病弱です。ウイスキーとチョコの組み合わせが至高ですわ。
というわけで、アイドル論続き書いていきます。
前回までのはなし
それまで雲の上の存在、憧れの対象であったアイドルと言う存在が、おにゃんこ、モーニング、AKBの存在によって、ファンに近いものであり、ファンがアイドルを育てるという立ち位置に変化した。
そして、その形式は「CDに投票権をつける」という形によって最適化された。
ここまでおはなししました。
今回は、
AKB全盛期とアイドルマスターの登場
前回述べたように、秋元康によって最適化された、「会いにいけるアイドル」「参加型アイドル」は全盛期を迎え、スクールカースト上位層ですらAKBに嵌るという異常事態を引き起こした。
それではそのときカースト底辺は何をしていたのか?
アイドルマスターとは、自分の選んだキャラクターをトップアイドルまで育て上げるというシミュレーションゲームだ。アーケード版から家庭用に移植され、ニコニコ動画に関連動画が投稿されることによって、0年代インターネットで大流行したコンテンツである。
ここで二次元アイドルと言う概念が登場した
カースト底辺の非モテ達のうちで、二次元派の奴らにとって、アイドルのスキャンダルは裏切りであり、虚構を信仰するのに最も邪魔な要素である。二次元に逃げてしまえば、二次元の女の子たちは、三次元の女の子と違って汚い部分が一切ないし、絶対に自分を裏切らないのだ。
そういう論調もあって、自分で一から作り上げることのできる、シミュレーションゲームや、ボーカロイドをアイドル化するという文化が0年代インターネットで生まれたのだ。
アイドルの多様化とガチ恋
カースト上位やその下の一般ピープル(オタクがいうところの)がAKBに飽き始め、AKB一強の時代はだんだんとアイドルの多様化の時代へと移っていった。
ももクロ、AKBグループ、坂道、ハロプロなどが台頭し、地下アイドルを推す動きも出てきた。そうなって登場したのがガチ恋勢と呼ばれる集団である。
ガチ恋とは、自分が推しているアイドルを、アイドルとしてではなく、一人の女性として見て、恋人にすることを目的として推す人たちのことである。
おにゃんこ、モーニングで作り上げ、AKBで昇華させた「ファンが育てるアイドル」のベクトルの到達点である。もはやファンは「アイドルを育てる」に飽き足らず、「自分の恋人にしたい」という感情が芽生えてしまう者まで現れたのだ。
なぜここまでエスカレートしたか?
それはファンにとってアイドルを推していること自体が、自身のアイデンティティとなってしまったからである。オタクたちは、基本カースト上位の人間から迫害を受け、学校という場所の中に、アイデンティティを見出せなくなった集団である。そうなってしまった人たちが、アイドルやアニメを推すことで、それをアイデンティティとして自己を保っていた。
ところが、AKB全盛期、カースト上位の者までもが、アングラ文化であるはずのアイドルを推し始めてしまう。
自分だけが応援していたアイドルが、上位層にまでも推されている。これでは底辺のアイデンティティが崩壊してしまう。そこで、もっとアングラな地下アイドルや、アイドル研修生を「自らが育てる」感覚を得ることで再びアイデンティティを確立しだした。
その過程で、人気の無いアイドルを推すわけであるから、アイドルのほうもファンの顔や名前を認知する。すると今度は、「アイドルファンがアイドルに認知される」と言う現象が起こる。ファンたちは自分が存在してもいいんだという承認欲求がそこで満たされ、認知されることの快感に気づいてしまったのだ。
そこまで行くと、アイドルにガチで惚れるのは簡単である。
こうしてアイドルの多様化が進み、ファンそれぞれがそれぞれのアイドルを推すという行為自体がアイデンティティと化したのが、現代のアイドル事情ではないかと私は考える。
次回は、紫の上システムと架空アイドルの企画意図についておはなしします。
お疲れ様でした。
(了)