おつかれです。ゴトウです。
今回はちょっと閑話休題的な話としまして、絵画など他の芸術作品から映画についてアプローチしていこうかなと。自分用のメモとかも含む、個人の考えですので、ペーペーが生意気言ってやがんなって感じで生ぬるく読んでいただければうれしいです。
お品書き
ルネサンス期から考える構図
バロック期から考えるライティング
伊藤若冲と初期サイレント映画に見る強調の手法
ルネサンス期から考える構図
ルネサンス期の絵画の特徴としてあげられる、最も大きな要素は、
図形的なもの=美しいもの=神聖なもの
と言う図式である。時代背景的に宗教画が多い時代でもあり、神聖とされているものがモチーフになっている絵が多数存在する。
そこに出てくる神聖な存在(キリストや聖母など)は美しく描かれなければならない。それでは、美しいとは何か?
ルネサンスの巨匠たちは美しいもの=図形的であるものだと考えた。
そして、中でも三角形と球体が最も図形的で美しい形であることを発見した。
他にも遠近法だとかそういうのを生んだのもここの時代の人たちだけど、その辺は省略。
まあ、文字だけでもアレなんで、絵をあげとくと、
マザッチオ「聖三位一体」
人物の配置が見事に三角形。個人的にも美しいと思う。
もうひとつ、ラファエロ「牧場の聖母」
人物配置が三角形でかつ、マリアの上半身は球体をかなり意識して描かれている。
結局人物の構図って、絵画にしても映像にしても写真にしても、ルネサンスの普遍的な美しさを元にしてるんじゃないか?
ルネサンスの人々は図形的な美しさを発見した。その絵が普遍的に現在でも美しいとされているのは、結局図形的になるような配置が、本能的に綺麗だって思える配置なのではないだろうか。
以上の理由から、私は「ルネサンスっぽい配置を要所要所で使っていけば、美しい構図が構築できるのではないか」という推論を立てた。現場で実際実行できるかはまた別の話。
バロック期から考えるライティング
遠近感や図形的な要素が本格的に芸術に取り入れられたのはルネサンスであった。その後、時代が進んでバロック期という時代が訪れる。その時代の人たちが新しく始めた重要なことは
光源の設定
である。
図形的要素の次に、光、つまりはライティング、照明の要素を絵画に入れこんだ。これに関しても見たほうが早いので例を挙げよう。
左上方向から一方向に向かう光を光源と設定して、人物の陰影を光として表現している。
もう一枚、レンブラント「自画像」
鼻筋に対して斜め上方向から光源を設定して、暗部に三角形のハイの部分をつくりだしている。これは、「レンブラントライティング」と言う名前がついていて、現在映画の照明の基本的な技法のひとつとなっている。
バロック期の人々は光源というものを発見し、やはり普遍的に美しいと思えるものを作った。つまり、どのような場面を演出するときに、どのような光源を使っているかをバロック期の絵画から盗むことによって、それを映画に活かすことも可能なのではないかと推論した。現場で実(略
伊藤若冲から見る強調の手法
一年前くらいに伊藤若冲の展覧会に行って思ったことがある。
伊藤若冲は日本の画家で、鶏など動物の絵を多く描いているのだが、
白色を基調とした鳳凰図のなかで、赤い部分と緑色の部分が色鮮やかに強調されているように感じた。しかし、実際赤色の面積はとても少ない。少ないからこそ強調される。
本当に重要な部分は少しだけ使うことによって、印象に残り、強調されるのだ。
初期サイレント映画のころ、クローズアップのショットは本当に印象深く残したいシーンにのみ使われていた。
D・W・グリフィス「散り行く花」では、引きの画中心に物語が進んで行き、本当に重要な部分でのみクローズアップのショットが使われている。それまではカメラワークなど、退屈な部分も多いが、クローズアップのシーンがそれにより強調され、見た後強烈に印象付けられるように感じた。
短編映像こそ、この手法を用いることによって、重要で伝えたい部分を端的に強調できるのではないか?安易なクローズアップを避け、どこを本当に伝えたいのか、どこのシーンを強調すれば面白いのかを考慮して映像を作るべきではなかろうかと考える。
なお、現場で(ry
以上、長くなりましたが、考えてたこと垂れ流しました。自分用のメモみたいなもんですが、絵画から演出のことを考えても面白いんじゃないかなって思います。
読んでくれた方はお疲れ様でした。
(了)